自尊心を持つこと
こんにちは!
やまさんです!
まだ第3回目ですが、なんとなくブログを書く事が楽しくなってきた今日この頃です。
さて、今回のお題は、「自尊心を持つ事」です。
私は引っ込み思案で、自分に自信を持てぬままこれまで生きてきました。
今現在、就活をしていますが、悉くお祈りメールをもらい、日々心身共に疲弊しています、、。
自分は何もできない人間なんだ、、。
なんでみんながなんなくこなせる事も自分にはできないのか、、。
そんな感じで卑屈になってしまいます。
アドラー心理学というものを皆さんはご存知でしょうか。
最近、この「アドラー心理学」に関する著書を読んだのですが、それを踏まえて自分の心理的思考を少し理解してみようかと思います。
そもそも「アドラー心理学」とは何かというと、アルフレッド・アドラーという精神科医、心理学者が打ち立てた学説です。
「精神分析学」を打ち立てたフロイトから独立したアドラーは独自の「個人心理学」を作り出し、これがのちに「人間性心理学」の源流となっていきます。
そしてこの「アドラー心理学」の中の「自己受容」という項目に私は注目しました。
人間は誰しも劣等感を持ちます。
劣等感を持つ事は決して悪い事ではありません。
そもそも人間は、誰しも「自己概念」と「自己理想」を持っています。
「自己概念」とはいわゆる現在の自分に対するイメージであり、「自己理想」とはなりたい自分のイメージです。
人は誰しも「自己理想」を追い求め、その時に生じる「自己概念」とのギャップに劣等感を感じます。
そして、「自己理想」に近づくために、そのギャップで開いた大きな穴を補償する作業をします。
劣等感を感じる事で、人は努力し、自己理想を目指していきます。
この構図を踏まえた上で、劣等感を自己理想の追求ではなく、他者との比較で追求した場合、自己理想に対する劣等感は解消される事はありません。
常に他者との比較に価値を見出し、他者に依存しすぎることで、劣等感の解消は見込まれません。
それでは、正面から劣等感という課題に取り組んでいくためにはどうすればよいのか。
それは「自尊心を持つ事」です。
しかし、この自尊心を獲得するパターンは3種類あるそうです。
一つ目は、他者との比較によって自尊心を獲得するパターン。
二つ目は、他者からの評価により獲得するパターン。
三つ目は、外からの評価ではなく、「自分らしくある」という「本来の自尊心」を持つことで獲得するパターンです。
見て分かるように、一つ目と二つ目は他者に依存しています。
これによって得た自尊心は外的評価に帰結してしまい、結果的に自尊心は損なわれてしまいます。
しかし、三つ目は、自分に対して自分自身がもつ内的な評価であり、「自己理想」と照らし合わせ、自分の活動に意味を見出す事ができます。
「自分らしくあること」
「自分はどうありたいのか、どうしたいのか」
こういった内的評価による「自尊心」を持つ事こそ生きていく上で大切な事なのかもしれません。
しかし、現代社会では、常に他人との比較や競争、そしてそれによる結果と評価で成り立っているため、内的な「自尊心」を獲得していくことが難しくなっています。
私はこのアドラー心理学を知り、なんとなくもやもやしていたものを、具体的な構造として理解することができました。
そして、この考え方を知ることができて、少し肩の重荷が軽くなったような気がします。
結局、自信を無くしてしまうという事は、他者との比較による自分しか見えていない状態であるのです。
私のような極度に自信がない人。
「どうせ自分なんか頑張っても意味ない。」
「できない自分は負け組だ。」
「みんなができる事がどうして自分にはできないのか。」
こう考えてしまう人は、決して負け組なんかではないのです。
「自尊心」を持って自分を見つめ直せば、なにか見えてくるかもしれません。
ぜひ、皆さんも「アドラー心理学」に関する著書を手に取ってみてください。
長々とすみませんでした。
最後まで読んでくださった方に感謝します。
YMNエンターテイメント@YMN007YMN